基礎編⑪新自由主義

本来の自由主義

 本来の自由主義は、ヨーロッパの植民地拡大競争の常時拡大再生産される市場において成立していました。現在の主流は帝国主義(独占資本主義)です。拡大再生産が可能な産業を除き、過当競争の弊害が強い産業ほど規制をかけて保護しています。

 ではなぜ自由主義を掲げるのでしょうか。政治が拡張的財政政策・拡張的金融政策(景気を煽る政策)を行い、大企業の経営成績を向上させて、大企業を政治支持者になってもらうためでしょうか。好景気時には良いかもしれませんが、それ以外の平常時・不景気時には機能しません。

 振れ幅の大きい経済は、国土を開発するのには適しています。戦後右肩上がり経済を誘導してきました。バブル経済では、箱もの(建物)がたくさん建設されて、その後の社会基盤になりました。しかしながら、バブル経済崩壊後は、初めて右肩下がり経済を実行しました。今後の経済は、過当競争をなくして競争を最小限に抑える政策が望まれます。

許認可制

 自由競争というと公正な競争というイメージが強いでしょうか。では、需要が限定的である産業で自由競争を取ると不公正な競争になるということはありませんか。

 何年か前に京都某タクシー会社が、タクシー業界は京都市の許可で台数を増加させる制度に従い、台数を増加させる申請を行いました。経営力があれば、許可をして自由競争を促進すると良いでしょうか。

 ここでの数値例は現実の数値ではありません。仮に例えば、それまで京都市に8,000台あったとします。そのうち某タクシー会社が500台保有していました。新たに500台導入する許可を求めました。某タクシー会社の事業者はタクシー代金を値下げして、消費者にサービスするという持論を説明していました。このような価格破壊サービスは本当に良いのでしょうか。一般にこのような価格破壊を「不当廉売」と言います。

 某タクシー会社が描いたシナリオは以下のとおりです。

 タクシー代金の値下げで、京都市のタクシー業界では某タクシー会社が利益を度外視して、売上を伸ばすことになります。資本力が大きければ、経営体力はある程度維持できます。8,500台と過剰になったため、資本力のないタクシー会社は経営不振になります。仮に、8,000台が適正台数であるとすると、経営不振になった他のタクシー会社の500台は破綻します。そして、市場から撤退します。某タクシー会社は500台から1,000台に経営拡大したうえで、京都全体のタクシー台数は1度8,500台になったものの、適正の8,000台に戻っています。その後某タクシー会社はタクシー代金をもとの価格に戻すことでしょう。

 現在は、限定的な市場では、自由競争を唱えることがあれば、不当な競争ではないかと疑いを持つべきでしょう。自由貿易についても、過大評価しないようにしたいものです。ちなみに、その当時の京都市は不許可としたので、公正な判断でした。

自由経済・自由貿易

 自由経済・自由貿易と言うと公正な経済競争と考えがちです。本当にそうでしょうか。限定的な市場では、資本力が大きい事業者が価格競争を仕掛けてきて、資本力が小さい事業者を経営破綻に追い込むという戦術が可能です。事業者が減少すると、その後は経営成績が上昇します。

 自由貿易は世界全体の経済厚生が、その他のすべての管理貿易の経済厚生よりも高いから自由貿易が最も市場人に対して有益であると一般的に言われます。

 結局、競争力の高い産業はどの国も競争したいのですが、競争力の低い産業は保護貿易を行い競争力が高まってから、自由貿易へ移行したいのです。

 究極の自由貿易というのは、現実にはあり得ません。あるとすると、自由度がある程度高いから、概ね自由貿易であるというものが、通称「自由貿易」と呼びます。

現代政治上の新自由主義

 「自由主義」「新自由主義」という用語の適用範囲を誤解していました。経済学で言う場合、本来の「自由主義」は主としてヨーロッパ列強諸国の植民地拡大競争の時代での規制のほとんどない自由経済を指すのに対して、それと同様の趣旨で「新自由主義」というのは自由経済を指します。つまり、「新自由主義」というのは、現在では規制による保護政策が前提なので、適正な経済政策ではないと結論付けます。
 しかしながら、現在の各政治家の説明では、一定の制限の下ある程度の自由度のある経済競争についても「新自由主義」としています。全く自由度のない経済競争というのはありませんので、今後「新自由主義」については、経済学上の純粋理論の話と現在のある程度自由度のある経済競争(現代政治上の新自由主義)の話とに分けて説明します。

基礎編⑫貨幣経済の形態

 ①本来の貨幣経済:金貨・銀貨・銅貨(価値の高いもの)

 ②過渡的貨幣経済:金本位制(1ポンド紙幣は16オンスの金と交換可能)

 ③先進的貨幣経済:管理通貨制(紙幣は経済が機能することを前提)

 貨幣の本来の形態は、価値が高く取り扱いが容易でありました。①の形態です。しかし、②のように金との交換を担保することにより、紙幣の大量発行が可能になりました。この場合、市場に流通する商品・製品・サービスを前提に紙幣が価値を発揮します。さらに、進んで③では、金との交換の担保もなく、市場に流通する商品・製品・サービスだけを前提に紙幣が価値を発揮します。

 現在③で紙幣が流通していますが、市場人は取引に当たって、商品・製品・サービスの質・量が低下すると、紙幣の価値が低下することに留意する必要がございます。すなわちインフレです。逆に前記の質・量が向上すると、紙幣の価値が向上し、デフレです。ここで誤解があるのは、「デフレが経済に悪い。」ということです。正確には「デフレ・スパイラル」が経済に悪いのです。適正な経済でのデフレはむしろ歓迎するべきです。

基礎編⑬円高ドル安論

 マクロ経済学では、円高ドル安を以下のように考察します。

 アメリカ製品は、日本で以前より安く売れるため、アメリカの純輸出は増加して、国民所得は増加する。一方日本製品は、アメリカで以前より高くなるので、日本の純輸出は減少して、国民所得は減少します。

 しかしながら、マクロ経済の現実論として、時系列的にみると、アメリカで高くなり売れなくなった日本製品は経営合理化を行います。性能向上・費用削減等の経営努力です。日本製品は相対的に安価になったアメリカ製品との競争を強いられるのです。度重なる円高ドル安により、技術援助を受けながら、安かろう悪かろうの日本製品は品質向上してきました。

 価格例で考えてみましょう。1ドル200円から1ドル100円に円高になりました。10ドルのアメリカ製品は当初日本で2,000円でしたが1,000円に値下がりします。逆に、1,000円の日本製品は当初アメリカで5ドルでしたが10ドルに値上がりします。

 20世紀に1ドル360円から変動相場制で、1ドル80円まで、常に経営努力を継続しました。この円高ドル安は近年停止しました。現在は1ドル120円前後で固定為替相場制のような状態に変化しました。

基礎編⑭全体包括経済力

 国家経済では一般に、「公共財について、国民の税金で作られているものです。」と言いますが、私はこの表現にいつも多大な違和感を感じます。既に国家経済の歳出超過をご理解されている方は、話が早いと思いますが、例えば100兆円の橋を建設したとします。すると、国民全体で100兆円納税して建設されるわけではないのです。国家全体の経済力で100兆円国家の支出が行われたのです。

 そこで、今後は公共財の建設を行うための支出及びその他大量生産等の経済効果は、「全体包括経済力」の大きさで実施されると定義します。

 なぜ、このような定義を行う必要があるかですが、社会思想の異端者の中には、身体障害者等の弱者は、労働力が乏しく、生産性が低いから、国民全体で当該弱者を養うことになり、経済力を低下させるから、殺人によって社会から抹殺するという痛ましい事件が起きました。本当にそうでしょうか。弱者は本当は「全体包括経済力」で養われているに過ぎず、経済力の低下はほとんどないと言えるでしょう。できることを行い社会に貢献できることがあれば、生きている価値は十分にあると言えます。

 では、全体包括経済力の発生理由は何でしょうか。公共財については利用者数に大きな制限が不要な財は、国民全体で利用できるので、国民全体で享受できからです。同様に大量生産が可能な財も、国民全体で享受できるからです。

 一人の個人が、一人の弱者を養うかのように考えることが不適切です。自給自足経済を前提とすると、不要な財は作りません。しかし、市場経済を前提とすると、得意な財を供給して、不得意な財を需要します。みんなが他者に依存している経済です。

 さらに、全体包括経済力の要素は何でしょうか。前述のとおり代表的なものとして、公共財及び大量生産に適した財があります。

 職業が細分化していくと、社会的に供給されていると言える財が多数あります。弱者一人一人のために、健常者がみんな経済的負担を強いられているという考え方は、非常に稚拙としか言えません。多様な価値観を享受できる社会の構築が必要です。

基礎編⑮20~21世紀の経済論

 20世紀の経済論は、大きく捉えると資本主義経済を中心として、共産主義経済が対峙している体制でした。経済学を勉強した経験がある方は、資本主義の歴史の3段階をご存知でしょうか。①重商主義、②自由主義、③帝国主義(独占資本主義)です。重商主義段階が初めに現れる資本主義に不可欠な段階で、資本家に資本の蓄積が行われるもので、政府の政策も資本家を優遇するもので、例えば商売を独占する特許許可等です。自由主義段階は拡大再生産が継続する段階で、歴史的にはヨーロッパの植民地拡大競争の時代に有用でありました。多くの業種で競争を促進しつつ、拡大しました。市場が限定された業種では過当競争となり、不適切です。帝国主義段階は、市場が限定される業種で規制をかけて過当競争を抑制しつつ、商品・製品・サービスの向上を促進するものです。歴史的にはヨーロッパの植民地拡大競争が終了した段階以降です。いずれの段階も資本家階級が強く、労働者階級が弱いです。

 共産主義経済はなぜ、起こったのでしょうか。資本主義の欠点を思い出してください。資本家が生産活動で取得した余剰利益を搾取しているから、労働者が疲弊するということです。労働者の生活を保護しようというのが考え方の出発点です。ではなぜ、1917年のロシアで共産主義革命が起こったのでしょうか。仮に資本主義の熟成度が相当程度高ければ、政治的な活動の指導者も資本家かそれに準ずる立場の指導者が中心になるものです。たぶん、当時のロシアでは資本家の力はそれほど強固ではなかったのでしょう。当時の日本では、どうでしょうか。大正6年です。資本の蓄積も終わり、大正デモクラシーとともに、自由主義段階になっていると考えます。少なくともロシアよりは資本主義の熟成度は高いです。

 では共産主義は何がいけなかったのでしょうか。市場原理を排除してしまったため、権力のピラミッド型単純構造で、意思決定機関が少なくなってしまいました。結果、意思決定が硬直化しました。構造的欠陥で優秀な人材を活かしきれなかったのが、失敗の原因でしょう。

 ここで日本では、共産主義の影響はゼロだったのでしょうか。労働運動は活発化していて労働者は手厚い保護を受けていました。ゴルバチョフ元大統領の言葉があります。「世界で最も繁栄した社会主義国は日本である。」これは言うまでもありませんが、資本主義の中で労働者保護を適度に行われたということなのです。現在資本主義の③帝国主義段階です。近年の携帯電話・現在のスマートフォン等に代表されるように、拡大再生産できる分野だけを自由競争として、他の一般必需品分野等は適度な規制を行うことが適正な資本主義です。労働者賃金を高くすることは利益を低くすることになるので、技術向上・費用削減等の経営合理化は常に必要です。

 私は社会民主主義という考え方を正確には理解していませんが、市場原理を行わない純粋な計画経済が社会主義、市場原理を行いつつ労働者保護をも重視するのが社会民主主義であるとすると、今後は社会民主主義が政治の中心となると考えます。

 すなわち、市場経済と労働者保護という、資本主義・社会主義のそれぞれの長所・短所の相互補完を大義名分に政策を実施していくべきです。

基礎編⑯軍事力から経済力へ

 核兵器が使えない脅しでしかありません。アメリカ50%・旧ソ連50%の破壊力(地球全体)の冷戦構造です。1980年代は冷戦構造で最高度に緊張が高まり、その後緊張緩和しました。このとき、地球上の生物をすべて破壊して、生物が存在しない47億年前の地球に戻ってしまうリスクがありました。アメリカと旧ソ連の両者が核兵器を使用してしまった場合です。

 今後は経済力によるリーダーシップの時代が到来します。憲法9条は、戦争放棄の原則で、次の時代を見据えた考え方です。軍事力が力の均衡による抑止力で戦争がなくなると戦争以外の力、すなわち、生活上の豊かさである経済力がリーダーシップの条件となってくるでしょう。

 現在の戦争は制限戦争です。泥沼の戦いです。破壊力の小さい武器による勝者になれない戦争です。

 今の時代標準的な歴史観としましては、地球の生物を全滅できる核兵器を開発した時点で、戦争という手段で権力拡大を目指すのはかなり無理という理解です。
 そもそもアメリカがリーダーの20世紀は、宣戦布告を行い正々堂々と戦争を実施するという制度の建付けでした。植民地支配は不当で民主主義を掲げて独立国家を構築することが国家の理想でした。私も不勉強で、「宣戦布告を行い戦争する。」という制度が国連の規程かは正確ではないですが、いずれは戦争という手段を禁止することが望ましいです。

 さらに、ヨーロッパ列強諸国の立場もご説明します。科学的に先進地域となり、軍事力を強化しなければ活躍できない時代もありました。ミャンマー (元の名称は「ビルマ」) を例にします。ビルマという国は、もともと王政で相対的に民主的でした。その後軍部が政権を支配します。ヨーロッパの裏工作の手段を正確には理解できませんが、仮にビルマの指導者が、「国家同士の戦争は野蛮です。」という主旨の考え方をすれば、ヨーロッパの立場から見ると、軍部の支配を扇動することも考えられます。

 結局、先例を踏襲しつつも、未来志向の視点を持つということです。相反することで、言葉では簡単ですが、なかなか実践できません。

 最後に、ロシアのウクライナ侵攻は、日本の明治時代の西南戦争と重なります。当時武士は平和な時代に、商売を始めることとなり、戦うことで活躍できなくなりました。何度か国内で反乱がありましたが、西南戦争は、西郷隆盛が率いて、最大規模で最後の反乱でした。
 ロシアは冷戦時代に、軍事力に偏った繫栄をして、軍事的リーダシップしか持ち得なかったです。そうした20世紀の残存する性格が色濃くあります。
 いずれにしても、この戦争が早期に終息し、これが最後の戦争になることを願います。

 私は現在の戦争体制を制限戦争と呼んでいます。なぜかと言うと、核兵器により地球全部の生物を全滅できる状態での戦争だからです。

 今後は制限戦争から戦争ゼロの時代へ進展していくでしょう。そのためには共存共栄できる社会制度を構築することが必要です。ロシアは軍事的リーダシップを行った最後の国となることを願います。

 より豊かになる国を目指します。経済力が豊かさの指標です。技術向上を目標に、より高度な商品・製品・サービスを提供していきましょう。

 蛇足ながら、核兵器の発射の可能性について言及します。
 仮に、アメリカとロシアに世界の各50%を破壊するように配備しているとします。この場合1980年代の時のように緊張が最高度に高まります。現在アメリカとロシアが対峙しての交渉状態ではないので、核兵器は配備していないと考えるのが自然です。
 核兵器発射の脅し合いでの戦争です。

核兵器割合仮説

 「国連の常任理事国5大国は、核兵器を保有しています。」という命題は一般化しております。しかしながら、核兵器の破壊割合は謎の中です。

 そこで、各時系列的に5大国の破壊割合を仮説してみます。当初はアメリカ50%・旧ソ連50%は確実でしょう。中国・イギリス・フランスは推定が困難ですが、影響力は2大国の半分ということで、各25%とします。

 当初は、社会主義体制の限界に達していない状態でした。1980年代後半にその限界に達して、中国の破壊割合を50%に増加することで、影響力は3大国の三つ巴でバランスを維持していました。それでもさらに、旧ソ連・中国が体制の限界に達して1990年前後に旧ソ連・中国の核兵器は廃絶しました。これで、世界の核兵器はアメリカ50%・イギリス25%・フランス25%となり、3国が核兵器を発射しない限り、世界の生物が全滅して、生物が存在しない状態、すなわち、47億年前の地球と同様の状況になるリスクはかなり減少しました。

 その後は、1994年前後にフランスが廃絶、2000年代にイギリスが廃絶、2010年代にアメリカが廃絶したとするのが、私の仮説になります。

 元々、常任理事会が拒否権を発動すると、核兵器を発射する準備をして、反対意見の他の常任理事国が発射を抑制することを行って、事態を収拾するシステムがありました。現在は、シュミレーションゲーム的に拒否権を発動するシステムになりました。

 したがって、日本の法律を恣意的に立法して戦争できる制度にしようという立場は時代に真っ向から逆行するものです。脅かしのシステムを増加させるだけのものです。新しい国際秩序の構築が求められております。

基礎編⑰国家経済論の要諦

 国家経済論の最大の要諦は、市民経済論の考え方を放棄することです。「費用がかかるから経済が悪くなる。」という考え方が本質的理解を阻害します。

 「税務制度は簡素なほど良い。」という建前も市民経済論であり、国家経済論では全く当たりません。税理士等の専門家によるきめ細かいサービスは国家的財産です。

 公明党による定額給付金に対する自民党の所得制限付き給付は、所得調査等のサービスに余分な費用がかかるという主張があります。そうしたサービスは産業を質・量ともに拡大します。結構なことです。

 選挙の実施サービスに5億円がかかります。「争点が無いのに選挙して、5億円が損失です。」と言いますが、果たしてこの場合、国民が5億円分貧乏になりますか。

 国家経済論では、物々交換経済をイメージすることが必要です。税理士等による専門知識、選挙実施等のサービスの産業は、衣食住だけの産業より国家として豊かです。
 なお、定額給付金制度は、それほど有用ではありませんが、所得調査等の産業は一定程度有用です。

財政赤字

「個人の借金は1円まで返さなければならないが、国の借金はすべて返すわけではないのですよ。」(再掲:故加藤紘一自民党元幹事長)ということをヒントに紐解いていきます。

 現在管理通貨制度と言われる貨幣制度が行われています。貨幣の発行額は任意とされます。すなわち、現在の貨幣供給量を上回る発行が可能です。

 この上回る発行額の性質は二つに分類されます。一つは国債で、もう一つは単に「財政赤字」と言い、返済を予定せずに行う資金支出です(以下、「不返済財政赤字」)。
 経済力の低い国は、国債発行額が少額です。もちろん、不返済財政赤字は存在します。

 こうしたことから、国家経済論は、市民経済論以上に複雑です。お金は、商品・製品・サービスを背景に価値を発揮します。お金自身は本来紙切れ等なので、経済価値そのものではないことにご注意ください。

 なお、私が指摘する国の歳出超過には、公益法人・独立行政法人等の「~何とか~資金管理機構」等からの融資金が含まれています。

国家経済論
 

 国家経済をどう説明するかという命題は、今の時代であっても困難です。
 市民経済と大きく異なる点は、商品・製品・サービスの質・量の合計値を最大化することです。財政規模の小さい自治体を除いて当てはまります。財源をどうするかという点はそれなりに何とかなります。なぜかと言うと歳入・歳出を後付けで調整できるからです。
 最大の誤解は、公共事業を行うと、事業を受注した建設業者等だけが利益を獲得するということです。実際は、他の事業者へも建設業者の従業員の消費等で二次的・三次的・・・と経済の波及効果はあります。
 仮に歳出超過が大きい場合は、増税・社会保障費の縮小等で調整可能です。歳出超過が大きいときは、消費が過大なので、市場貨幣供給量を縮小できます。
 繰り返しになりますが、可能な限り商品・製品・サービスの質・量の合計値を最大化します。仮に最大化しなければ、技術力・労力の出し惜しみで経済にとってはマイナスだからです。
 ここも誤解が多い点ですが、お金が経済価値そのものではありません。国内で提供可能な商品・製品・サービスの質・量の合計値が国家的な経済力です。お金は経済力を背景に経済価値を持っています。経済価値が高まれば、同じ1円でも価値が高まります。この場合、「デフレ」です。外国通貨との比較で相対的な価値の高まりは「円高」です。

 よく「国のお金の無駄遣いを正す。」という文句がありますが、これは国家経済を全く理解していない状態です。
 「私たちの税金で公共事業が賄われている。」という文句もあります。国民に政治参加を促進するという点で良い表現でしょうか。しかし、国民の税額分がそのまま公共事業費となっているわけではありません。
 あくまでも公共事業は、技術力・労力があるから可能なのです。

基礎編⑱生活水準と付加価値の低い産業

 典型例は、家電業界です。

 中国・韓国等の労働賃金の低い国でも技術力の高まる産業は、日本では存立していけません。逆に労働賃金の低い国ではできない産業を強化していかないと、生活水準が低下していきます。

 次に危ないのは自動車産業かも知れません。自動運転システムが実用化されると、画一的な自動車が増加して、自動車産業が縮小した場合に備えて、トヨタ自動車は「移動のサービス」を提供することを行う産業に転身していくかも知れません。

  新しい産業 ≠ 付加価値の高い産業  です。

 ソフト開発や半導体の部品製造等の新しいタイプの産業には、資金力・技術者確保等の観点から比較的容易に参入可能なものもあります。

 付加価値の高い産業の代表例は、ノーベル賞級の研究開発です。IPS細胞の開発・発光ダイオードの開発・応用物理・応用化学等です。

基礎編⑲右肩上がり経済と横ばい経済

 昭和時代までは、物価上昇より、土地価格上昇の方が急激でした(土地神話)。土地を担保に借金をして、土地を含めた不動産・設備等を拡大します。資産としての土地価格は上昇してプラスの財産が増加するため、借金をしても全体の資産額は増加します。その結果、経営成績・財政状態は良好になります(焼け太り)。

 バブル経済では、景気拡大の状況で本来なら緊縮策を行うべきときに、更なる拡張的政策により、より一層の景気拡大がなされました。景気循環論があるので、いずれは経済縮小がなされるわけです。

 バブル経済では、右肩上がり経済を信用して、景気拡大に便乗する経済主体が多数いました。現在経済は、ゼロ金利政策・マイナス金利政策を行っておりますが(バブル経済時より急激な拡張的財政政策・拡張的金融政策)、経済は「バブル経済」の時ほど動いておりません。右肩上がり経済を予想する経済主体はいないからです。右肩上がり経済に便乗して、事業拡大を行う経済主体はおりません。

基礎編⑳「資本主義が終了」という主張

 ゼロ金利・マイナス金利政策で、金融経済が苦しい状況です。そもそも金融経済は実体経済を覆う膜のようなものです。実体経済が今後も継続していくので、しばらくは、資本主義は継続していきます。
 金融経済のように、利益活動が困難な産業というのは、経済政策として、経営合理化等を促進して、より人員の必要な産業を拡大するという目的があります。他には、林業も縮小傾向にあるのではないでしょうか。

別の主張

 最近、公共財の理論を持ち出して、「利益を生まない産業が重要であり、いずれ資本主義が終了するのである。」という主張を聞きました。そもそも民間の利益活動だけが存在しているものを資本主義であるとは言いません。現在の資本主義は、利益活動が不必要になって、公共財だけが重要性が増したわけではありません。

 資本論等を始めとする資本主義の理論は、利益活動に焦点が当たり、公共財の理論は、やや小さく論じられているため、誤解が絶えません。

 現在資本主義が終了すると仮定しても、それに代わる経済体制がまったくありません。社会主義・共産主義経済の国家的実験が20世紀に終了して、労働者保護を手厚く行うことを最優先しても、資本主義より効率が低いという結果が出ました。したがって、市場経済を継続しつつ、適度な労働者保護が現在の理想的な国家体制であります。