基礎編⑭全体包括経済力
国家経済では一般に、「公共財について、国民の税金で作られているものです。」と言いますが、私はこの表現にいつも多大な違和感を感じます。既に国家経済の歳出超過をご理解されている方は、話が早いと思いますが、例えば100兆円の橋を建設したとします。すると、国民全体で100兆円納税して建設されるわけではないのです。国家全体の経済力で100兆円国家の支出が行われたのです。
そこで、今後は公共財の建設を行うための支出及びその他大量生産等の経済効果は、「全体包括経済力」の大きさで実施されると定義します。
なぜ、このような定義を行う必要があるかですが、社会思想の異端者の中には、身体障害者等の弱者は、労働力が乏しく、生産性が低いから、国民全体で当該弱者を養うことになり、経済力を低下させるから、殺人によって社会から抹殺するという痛ましい事件が起きました。本当にそうでしょうか。弱者は本当は「全体包括経済力」で養われているに過ぎず、経済力の低下はほとんどないと言えるでしょう。できることを行い社会に貢献できることがあれば、生きている価値は十分にあると言えます。
では、全体包括経済力の発生理由は何でしょうか。公共財については利用者数に大きな制限が不要な財は、国民全体で利用できるので、国民全体で享受できからです。同様に大量生産が可能な財も、国民全体で享受できるからです。
一人の個人が、一人の弱者を養うかのように考えることが不適切です。自給自足経済を前提とすると、不要な財は作りません。しかし、市場経済を前提とすると、得意な財を供給して、不得意な財を需要します。みんなが他者に依存している経済です。
さらに、全体包括経済力の要素は何でしょうか。前述のとおり代表的なものとして、公共財及び大量生産に適した財があります。
職業が細分化していくと、社会的に供給されていると言える財が多数あります。弱者一人一人のために、健常者がみんな経済的負担を強いられているという考え方は、非常に稚拙としか言えません。多様な価値観を享受できる社会の構築が必要です。