命を賭ける行為の是非

 一般的には、命を賭ける挑戦は勇敢でしょう。しかし、命を賭ける行為の目的自体が不当であれば、早々に撤退すべきではないでしょうか。

 「維新の党は命がけで政治活動を行っていて立派ですね。」とのお話です。私からすると、「政治家として、社会秩序をねじ曲げることに挑戦されていて、命を狙われているけど、命を賭けていて勇敢でしょうか。」と考えます。その他の勢力にも類似する方はいらっしゃいます。特定の人物・勢力を狙い撃ちするのではなく、一般論とします。維新の党のお話は、例外的に社会で突出して不当なので挙げました。悪影響も強く、政治不信を増長する原因になりかねません。社会思想家の異端者として、身の処し方を正すべきです。

 当初「市民経済論」を前面に出して、政治活動を展開して、不毛な議論を長期間行った人物・勢力はその後始末を中心とした活動を行うべきです。途中から「国家経済論」を取り入れたのであれば、「市民経済論」を振りかざして詭弁を展開すべきではないです。
 長期間「市民経済論」のみしか見えなかった時点で、政治家としての資質がないです。
 政治家はできるだけ短期間で「国家経済論」の枠組みを理解できなければ、活躍する土壌がないです。

 なお、「市民経済論」と「国家経済論」の考え方の相違に関しましては、当ホームページを全部お読みいただくことでご理解いただけますが、簡単に申しますと、「市民経済論」では、お金の帳尻合わせ、すなわち利益を獲得することで消費水準が高まるという感覚であり、「国家経済論」では、お金の帳尻合わせではなく、「公共財最大化」と「歳出超過額の適正化」の感覚です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

未分類

前の記事

その場限りの詭弁論