全体主義と民主主義のバランス論

 民主主義が言われる以前の国家体制は如何なるものだったでしょうか。君主制と言われる権力のピラミッド型構造でした。いわゆる全体主義です。
 では、なぜ民主主義という考え方が生まれたのでしょうか。16世紀のヨーロッパを想像してください。

 当時、ヨーロッパは、中東・日本に国力で負けていました。地理的条件が険しく知恵を駆使して発展しているからです。中東・日本と同様の君主制の全体主義のままだったら、技術力が高まり、世界で覇権争いをしたら、負けてしまいます。
 そこで、火事場の馬鹿力のような気持の持ち方をエネルギーにしたいがために、個人の尊厳という概念を編み出して奮起を期待しました。
 当時のヨーロッパの怒りの行き場所は、外国に対するもので、戦争によって、完結しました。

 「個人の尊厳が最も大切である。」という考え方で、思い込みのエネルギーを爆発させて、ありとあらゆる分野で、気持ちを高めることに成功しました。

 ここで注意しなければならない点は、個人主義(民主主義)の体制下であっても、全体主義は不可欠であるということです。
 「一人の人間の命は、地球の運命より重い。」と言いますが、本音では地球環境を害する行為は許し難く、個人の権利を奪われることもあります。
 個人主義(民主主義)が始まっても、社会経済的な全体のバランス論は軽視できません。時々欧米のマスコミ関係者で、社会の秩序を考慮しない方が散見されます。
 報道の自由には、報道の責任が含有されています。現代では、個人の権利がぶつかり合っていることが多いから、昔以上に報道の責任が問われます。

 最後に、欧米諸国と日本における、個人主義(民主主義)と国家主義(全体主義)のバランス論について言及します。
 当初日本では個人主義(民主主義)の良否は懐疑的でした。したがって、国家主義(全体主義)を保持しつつ、民主主義を導入しています。
 他方、欧米では、個人主義(民主主義)の成功体験ばかりが誇張されて、国家主義(全体主義)を軽視しがちです。
 日本の江戸時代は、ほとんど戦争がない、平和な時代を、封建制度で実現しています。
 日本では、民主主義が過度に評価されていません。
 したがって、現在個人主義と国家主義のバランス論は、欧米諸国より、日本の方が適正だと言えます。 

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