現在目指すべき経済革命

 現在まで、有用な経済論のあり方を中心に述べてきました。
 では特に、国家経済論が目指すべきゴールは何でしょうか。

 一般的には、マクロ経済学も同様ですが、「国民所得を増加させること。」です。しかし、円の貨幣価値が変化することを前提にすると、「実質国民所得を増加させること。」でも間違えではないです。

 ここでは、もっと本質的に考察します。
 何故なら、好景気では通常レベルの経済力を上回る国民所得が計上されるし、不景気では、通常レベルの経済力を下回る国民所得が計上されるからです。

 経済の目的は、あくまでも商品製品サービスの消費です。すなわち、経済力とは、国内全体の商品製品サービスの質量の合計値です。
 付随的には、製造費用削減による、費用の低廉性も、経済力の一部です。

 国家経済論のゴールは、付加価値が高まることですが、この付加価値というのは、単に第3次産業が良いのではなく、一般的には、難易度の高い産業とことです。
 極論すれば、ノーベル賞級の研究がより望ましいのです。
 現在家電業者が、外国優位になり、今後は自動車産業も、外国優位になりそうです。
 表現が悪く大変失礼ですが、安い労働力でも可能になってします産業が、付加価値の低い産業と同義です。
 低付加価値の産業は後進国に任せて、より高付加価値の産業に上っていかないと国家全体の生活水準が低下するという、永遠の競争です。

 前置きが長く、大変失礼いたしました。
 ここからが本題です。
 高付加価値化の永遠の競争の中、現在着手すべきことが経済革命です。
 私の自説では、産業革命以来の革命と位置づけております。
 別件で論じておりますとおり、現在戦争が制限的で、共存共栄を存続することが一つの問題となっております。
 特に日本は、第二次世界大戦後、平和憲法に守られて、共存共栄の先進地帯です。
 外国との競争があるので、物価・賃金を過度に上昇することができないという考え方も一部にはございますが、世界において、技術力等で優位に立つ日本が物価・賃金の高騰を覚悟で、低所得者層を金銭的に保護する等により、「貧困のほとんどない経済社会」の実現が望まれます。

 よく誤解があるのは、生産者人口の方々が、他者等を養っており、労働者層の負担が高く、働かない方のために、不当に酷使されているという考え方です。
 以前、身体障害者等の施設で、働けない方のために、経済力が低下しており、そうした方を殺人等で抹殺すべきだという、社会思想の異端者の犯罪がございました。
 仮に、衣食住に関する産業に限定しても、かなりの部分で大量生産等が可能になっております。その他国で提供される公共財等も充実しており、国家全体で経済的恩恵を享受して、「相互の潰し合い経済」を脱却する政策が最善と考えております。
 日本がリーダーシップを取り、共存共栄社会の実現を目指したら、他国も同様に追随すれば、世界的にも共存共栄になります。
 「貧困ほとんどない経済社会」と表現したのは、例外として、社会秩序に反する方等は、貧困を甘受いただくという趣旨です。

 さらに、補足しますと、マクロ経済の現実論を論じることは、当面の目的である日本経済・世界経済の貧困解消に留まらず、さらにその先のテーマも考察可能となっております。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

未分類

前の記事

迷信と理論の中間層
未分類

次の記事

20~21世紀の経済論