基礎編⑰国家経済論の要諦
国家経済論の最大の要諦は、市民経済論の考え方を放棄することです。「費用がかかるから経済が悪くなる。」という考え方が本質的理解を阻害します。
「税務制度は簡素なほど良い。」という建前も市民経済論であり、国家経済論では全く当たりません。税理士等の専門家によるきめ細かいサービスは国家的財産です。
公明党による定額給付金に対する自民党の所得制限付き給付は、所得調査等のサービスに余分な費用がかかるという主張があります。そうしたサービスは産業を質・量ともに拡大します。結構なことです。
選挙の実施サービスに5億円がかかります。「争点が無いのに選挙して、5億円が損失です。」と言いますが、果たしてこの場合、国民が5億円分貧乏になりますか。
国家経済論では、物々交換経済をイメージすることが必要です。税理士等による専門知識、選挙実施等のサービスの産業は、衣食住だけの産業より国家として豊かです。
なお、定額給付金制度は、それほど有用ではありませんが、所得調査等の産業は一定程度有用です。
財政赤字
「個人の借金は1円まで返さなければならないが、国の借金はすべて返すわけではないのですよ。」(再掲:故加藤紘一自民党元幹事長)ということをヒントに紐解いていきます。
現在管理通貨制度と言われる貨幣制度が行われています。貨幣の発行額は任意とされます。すなわち、現在の貨幣供給量を上回る発行が可能です。
この上回る発行額の性質は二つに分類されます。一つは国債で、もう一つは単に「財政赤字」と言い、返済を予定せずに行う資金支出です(以下、「不返済財政赤字」)。
経済力の低い国は、国債発行額が少額です。もちろん、不返済財政赤字は存在します。
こうしたことから、国家経済論は、市民経済論以上に複雑です。お金は、商品・製品・サービスを背景に価値を発揮します。お金自身は本来紙切れ等なので、経済価値そのものではないことにご注意ください。
なお、私が指摘する国の歳出超過には、公益法人・独立行政法人等の「~何とか~資金管理機構」等からの融資金が含まれています。
国家経済論
国家経済をどう説明するかという命題は、今の時代であっても困難です。
市民経済と大きく異なる点は、商品・製品・サービスの質・量の合計値を最大化することです。財政規模の小さい自治体を除いて当てはまります。財源をどうするかという点はそれなりに何とかなります。なぜかと言うと歳入・歳出を後付けで調整できるからです。
最大の誤解は、公共事業を行うと、事業を受注した建設業者等だけが利益を獲得するということです。実際は、他の事業者へも建設業者の従業員の消費等で二次的・三次的・・・と経済の波及効果はあります。
仮に歳出超過が大きい場合は、増税・社会保障費の縮小等で調整可能です。歳出超過が大きいときは、消費が過大なので、市場貨幣供給量を縮小できます。
繰り返しになりますが、可能な限り商品・製品・サービスの質・量の合計値を最大化します。仮に最大化しなければ、技術力・労力の出し惜しみで経済にとってはマイナスだからです。
ここも誤解が多い点ですが、お金が経済価値そのものではありません。国内で提供可能な商品・製品・サービスの質・量の合計値が国家的な経済力です。お金は経済力を背景に経済価値を持っています。経済価値が高まれば、同じ1円でも価値が高まります。この場合、「デフレ」です。外国通貨との比較で相対的な価値の高まりは「円高」です。
よく「国のお金の無駄遣いを正す。」という文句がありますが、これは国家経済を全く理解していない状態です。
「私たちの税金で公共事業が賄われている。」という文句もあります。国民に政治参加を促進するという点で良い表現でしょうか。しかし、国民の税額分がそのまま公共事業費となっているわけではありません。
あくまでも公共事業は、技術力・労力があるから可能なのです。