YOUTUBE旧㊷経済的損失額の本質

 災害時等の場面で報道される「経済的損失は約~円に及びます。」という表現を考えたことがありますか。単に消費可能であったものが、消費不能になった金額なのか、将来の提供できなくなった商品・製品・サービスの金額を含むものなのか、何を指しているのかが不明です。いつもこの表現には違和感を感じています。

 例えば、台風で作物が被害にあったのであれば、今年供給できなくなったりんごが市場価格で~円、さらに、畑が荒れて来年供給できなくなったりんごが~円、りんご農家の生活保障が~円、災害復旧工事に~円というように表現しないと、総額で~円と言っても経済状況の内容が不明です。
 この例では、りんごの消費ができないのが1~2年でありますが、その後は消費可能です。リンゴ農家の生活保障も1~2年です。災害復旧工事は、工事業者・自衛隊等の産業は事前に準備されている産業であるから、建設資材費が損失ではありますが、適正にサービスが供給されます。

 話は転じて、選挙の事務管理費として、1回の衆議院解散総選挙で、「5億円かかります。」と言います。
 「お金がもったいないから、争点もないのに選挙を行うべきではない。」と言います。
 では、1回総選挙を行うと、国民は5億円貧乏になるのでしょうか。事務管理産業に5億円支出したら、当該産業の従事者の消費から始まり、2次的、3次的、・・・次的に消費の連鎖が継続して、公共事業の効果と同様に消費を促進します。
 また、選挙管理サービスは事前に準備されている産業なので、サービスは提供されるべきでしょう。

 マクロ経済を国民・民間事業者の立場だけで考えずに、国家全体の視点で考察するようにしないと、実態が見えません。「お金が儲かるためには。」という視点は、マクロ経済では実態を把握できません。「産業の充実のためには。」という視点をお持ちください。

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